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TBC第1戦&森下さん送別会(その1)

最終更新日2012/03/13
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3月11日。天気晴れ、気温10度、北北東の風、8〜10ノット。
 1年前の雪降る東北の海で起こった惨状を偲ぶには、あまりにも穏やかな海である。
今、我々は、死者1万9千人超(平成24年3月9日現在)もの尊い人命を奪い取った海とまさに同じ海の上で、風上と風下の2点に人為的に設置されたマークをただ周回するだけの競技に興じている。不謹慎と思う人もいるだろうが、それでも私はヨットという競技をやめることはできない。
 ちなみに、私の勤務する体育大学は震災後、真っ先に世間の攻撃の対象となった。「こんな時に学生をスポーツで遊ばせやがって」と。つまり、スポーツは人間にとってあくまでも娯楽であって、必要不可欠なものではないというわけだ。こうした批判を耳にする時、私はたった4回ではあるが、復興支援で訪れた宮城県石巻市の人々のことを思い出す。

 確かにそこには支援物資を奪いあい、日々をなんとか生き抜こうとする人々の姿があった。だが、その一方で、破壊し尽くされた街のなかで楽しそうにテニスに興じている光景があった。また、4階建てのビルよりも高く積まれた瓦礫をバンカーに見立ててゴルフの練習をしているおじさんもいた。こうした光景は、震災後の「非日常」が「日常」と化していく震災の風化現象のあらわれなのだという意見もあろう。しかしそれは間違っている。現地の人々は、震災体験を忘れつつあるのではなく、生活復興に向けて物事を前向きに考えることを「強いられている」のである。前を向きたくないのに向かざるを得ない状況の中で、唯一スポーツという行為が心の糧となっている。我々はヨットという競技を楽しむ人間として、スポーツを通じた復興支援のあり方をもう一度考えてみるべきなのではないだろうか。

 さて、本題のレースである(ここから文体が大きく変わります)。今回は、美人の奥様と共に徳島県への隠居を決め込んでしまった森下さんとの最後のレースでもある。また、今回はKAZIの取材も入っているのでなんとかいい格好をみせて思い出に残したいところである。しかし、いつものようにスタートが決まらず、ラインから1.5艇身ほど遅れてスタート。どうやらバウの私(関)とヘルムスマンの白岩さんとの「飲みニケーション」が足りないらしい。ヘルムスがイメージするエントリーがなかなか掴めない。また、こちらが伝えている情報がどれだけ後ろに伝達されているかもわからない。結局いつも通りあれよという間にスタートを切ってしまう。また基本的にビビリな私だがスタート時だけはイケイケを装っているということを、白岩さんは企業経営者の目をもって見抜いて警戒をしているのかもしれない(単に信頼されていないだけ?)。今度新宿二丁目あたりで様々な(?)コミュニケーションを通じて本音を聞いてみたい。
 こうしていつもながらのスタートを切ったわけだが、その後のレース展開は、この一年間で所得が急増し、軽自動車から外車に乗り換えた関の人生のごとく(嘘です....)上向きに。最初のヘッダーで迷わずタック。このタイミングが実に秀逸だった。私自身は、 微風のためジブ裏で縮こまっていたのでレースの全貌を眺めることができなかったが、ふとした隙に首を延ばして全海面を眺めると、いつのまにかに自艇がトップにいることに気づく。ここ数回のレースで実感しているのだが、小郷さんの加入により、徳本さんのタクティクスの安定感がさらに増してきたようだ。優秀な参謀と命令に忠実なマゾ奴隷を同時に手に入れたという感じであろうか。ただ、徳本さんにいわせれば、まだフォアデッキに遠慮しつつコースを引いているということ。この風なら今のフォアデッキならどんなアクションにでも対応できると思うのだが、後ろからの信頼を獲得するために、今後とも精進したい。上マークをトップで廻航してからは、大きなトラブルもなく(トッパーのシャックルが吹っ飛ぶというトラブルはありましたが...)、そのままトップにてフィニッシュ(修正2位)。

その2に続く・・・
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